2015年8月29日土曜日

労働の神話

 世間には労働に関して陰謀論的な神話が流布しているようなので、それを否定するような簡単なメモを記す。

①政府は教育水準を意図的に下げて愚民化政策を実施し、企業の従順な奴隷を作ろうとしている

 そんな訳はない。そもそも、この議論の前提には「沢山勉強した賢い人は、企業に搾取されない」という考えがあるが、そもそもそれが間違っているように思う。何故ならば、主張に対する反例が多々ある。例えば、韓国は日本よりも明らかに教育熱心で、大学受験を国家全体を挙げて支援しているが、そんな秀才たちがサムスン等に就職すると、厳しい労働条件の下でこき使われている。これを見るに、勉強を頑張ったからと言って企業におとなしく従わなくて済むなんていうことは全くないと考えるのが自然であろう。それどころか、これまでずっと勉強してきて漸くサムスン等の一流企業に就職出来たのだから、辞めてしまっては全てが無駄になると考え、より一層企業に対して忠実となる可能性すら考えられるのではないか。ゴールドマンサックスには社員ではなくインターンシップ生(!!)の過労死まであるし、学問が人間を自由にするというような考えは先進国では最早成り立たないのではないか。

②全ての仕事が機械化・自動化し、ベーシックインカム等により人間は働く必要がなくなる

 実現しないだろうし、もし仮に最終的にそうなるにしても、移行期間において大きな社会的混乱が起きるので、ユートピアではないだろうというのが私の考え。働く必要のある人の数が少なくなっても、一部の仕事は人間がやる必要があるだろうし、それらの仕事の中には社会秩序の維持に不可欠なものもある筈だ。それらは、必ず誰かにやってもらわなければならない。その時、どれくらいの賃金で働いてもらえば成り立つのか。働く必要のない社会では、働かなくても生活出来るだけのお金を配布している訳であるから、これらの労働者に支払わなければならないお金はかなりの高額になるのではないか。そうなると、結局インフレになり、働かなくてもいい社会であるという前提が崩れるのではないかという気がする。若しくは、不労階級と労働階級に分離し、どちらかがもう一方を差別する社会の到来かもしれない。歴史的にも、嫌な仕事を被差別階級に押し付ける事例はいくつか存在した訳であるし。また、機械化や自動化にすごく熱心な企業であるAmazonが恐ろしく厳しい労働環境だということを考えると、機械化や自動化で便利になる人もいるが、その機械やサービスを提供する側は割と地獄なんじゃないかなって。

③教育を強化すると低所得者層が経済的に成功する可能性が上がる

 ここで言う教育の強化とは、主に大学進学率の向上みたいなものをイメージしている。確かに、高度な知識や技能を要する知的職業は存在するのだが、その絶対数は少なく、輩出される大学生もしくは院生の数よりも少ない。それにあぶれた層は所謂普通のホワイトカラーに行くのだが、それらでは何ら特別な能力を要求されておらず、大卒者がそこへ行けるのはシグナリング効果に過ぎない。大学に行くことによる所得向上効果の大部分がシグナリング効果と言えよう。すると、低所得者層を優先的に大学に入れ割合を上げる等しない限り、そのホワイトカラーの職の雇用出来る人数が限られている以上、大学に行きホワイトカラーになってお金を稼ぐ低所得者層出身者が増えるということはない。そもそも極論、全員が大学に行くようになれば、低所得者層が大学に行ったからといって豊かになれるという訳ではない。限られたパイをシグナリング効果で奪い合うゲームである限りは。寧ろ、何らかの事情で大学に行けない人は、今以上の苦境になるであろう。皆大学に行くのが当然であるから、大学に行かなかったのは何らかの欠陥がその人にあるに違いないと考えられて。日本以上に大学進学熱が高い韓国において、大学に行けなかった人はどれだけ苦しいのか考えてみるとこういう結論が出てもおかしくないのではないかという気がするけれども。
 そもそも、階層間移動の容易性って救貧において最優先されることであろうか。それよりも、どんな職業に就いたとしても、普通に生きることが出来るお金を稼げる方が大事なのではないか。「いつでも大金持ちになれる可能性が十分あるけど、貧しい人は餓死寸前」な社会よりかは、「階層はなかなか変わらないけど、餓死はあり得ない社会」の方がマシではないか。であるから、救貧には大学教育の充実よりも公共事業による雇用増加の方が良いのではないかと思うのだけれど。

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