2014年8月31日日曜日

放射線の基礎知識【1】

0.前書き
 放射線に関する基礎知識を纏めていきます。私は放射線が専門という訳ではないので、内容としては工学部の講義1コマ分が精々です。前提知識として、高校程度の物理、化学に加えて初等的な量子力学の知識があれば望ましいですが、無い人も多いと思われるので、適宜例え話を入れます。ですが例え話による理解は、必ず不正確な点を多々含むので、その知識を披露することは勧めません。出来れば物理や化学を自習し、正確な理解をした方が良いと思います。この分野の知識は、絶版のようですがショパン、リルゼンツィン、リュードベリ、『放射化学』(http://www.amazon.co.jp/%E6%94%BE%E5%B0%84%E5%8C%96%E5%AD%A6-%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%91%E3%83%B3/dp/462107511X)が網羅的に纏まっています。

1.放射線の学問分野の関係
 放射線を扱う分野は、大きく分けて2つあります。放射化学と放射線化学です。放射化学は放射線を出す物質、放射性物質の挙動を研究します。例えばこの物質は半減期は何年で出す放射線は何々線だとか、環境中ではどのように動き、どこへ何年かかって到達するのか、など。放射線化学は逆に、放射線を浴びた物質がどうなるのかを研究します。放射線が当たるとゴムが硬くなるとか、金属が脆くなる、生物の細胞が死ぬ、などが対象です。この2つが基礎なのですが、理論・実用を考えると関連分野はまだまだあると言えるでしょう。理論においては、例えば放射性物質が何故放射線を出すのか、その原理的なメカニズムを把握しようと思ったら原子核物理学(素粒子論の親戚なので難しく、量子力学や相対論が理解には必要)の出番になります。実用においては、そもそも放射線の応用は原子力発電と放射線利用の2つの領域があり、それぞれ多くの学問を要しますので、ここでは列挙しません。この記事では、主に放射化学と放射線化学について書いていきます。

2.放射線の種類
 放射線とは、空気を電離させる能力を持つ粒子線、電磁波のことです。ここでは、浴びた物質に電気的な効果を及ぼす粒子もしくは電磁波だと思っていてください。放射線の種類として主なものはα線、β線、γ線、X線、中性子線の5種類が挙げられます。本当は他にもありますが、割愛させて頂きます。以下その説明をしていきますが、途中に出てくる専門用語は後ほど説明するのであまり気にしないでください。
2-1.α線
 ヘリウム原子核(陽子2つと中性子2つの塊)が飛んでいる物です。粒子線です。特徴としては極めて重く、かつ電荷(電気的な力)も大きい為、すぐに周囲の物質と相互作用して停止してしまいます。それ故、紙一枚で停止してしまい、また紙などの障害物が無くとも、空気中を数cmで止まります。身体に当たっても皮膚の表面で止まります。従って、外部被曝という観点からは防ぐのは楽な方だと言えますが、人体との間に空気も含めた一切の障害物の無い内部被曝の場合には、その高エネルギー(と高LET)によって極めて危険と言えるでしょう。原子核から、量子力学のトンネル効果によって飛び出して来ます。
2-2.β線
 電子が飛んでいる物です。粒子線です。α線に比べて遥かに軽いので止まりにくく、飛程(最大飛距離)が長いです。しかしそれでも厚さ1.5cmくらいのアクリル板やアルミニウムで止まります。こう見ると、一見侮ってしまいそうですが、β線は物質との相互作用でγ線、X線を生み出す反応がありますので、必ずしも単純にβ線だけを防げれば良いという訳ではありません。発生要因は様々で、後述するγ線、X線からも生じます。

今回はここまで。次回は(あれば)γ線、X線、中性子線、そして放射能を測定する単位(Bq、Gy、Svの違いと使い分け)を書きます(多分)。

2014年8月30日土曜日

学問の正しさにおける数学以外の裏付け

 度々為される主張に「多くの自然・社会科学の分野では数学を使うのだから、数学は基礎学問でその他の自然・社会科学は応用である。よって、より数学科に近い応用数学科、計数工学科などはその他の工学部、経済学部などより基礎に近い。それ故、研究で出される主張の正しさがより大きい。」というようなものがある。このような主張は、非数学系統の研究は論理の厳密性に欠けている、単なる応用、現実への当てはめに過ぎないということを陽に述べている。ところが、これは物事を一面からしか捉えられていない。ある学術的主張は、その数学的論理の厳密さのみから正しさを測ることは出来ない。数学的に正しくとも、実際には間違っている主張は山ほどある。以下、自然・社会科学における正しさという概念について述べる。
 先ずは、数学的には正しいが間違っている説について具体例を挙げる。私が知っているものとしては、塑性力学のミーゼスの降伏条件の物理的解釈におけるせん断歪みエネルギー説、八面体せん断応力説がある。これについては“以上の二つの学説は数式的(形式的)には正しいが,個々の結晶のすべりの結果としての多結晶体の塑性変形の開始がマクロ的な八面体せん断応力やせん断ひずみエネルギーに支配されると考えるのは物理的解釈としては無理がある.”[1]と言われている。これを分かり易く言うと、「出てくる結論は正しいがその理由としては間違っている」説だということである。
 この例では、ミクロな構造を扱う学問がまだ存在しなかった時代である為、間違ってしまうことは仕方がない。これは丁度電子顕微鏡の無い時代だったが故に、野口英世がウイルスを発見出来なかったのと同じである。しかし、科学の発展した今の時代においても、応用数学系の友人は「出てくる結論は正しいがその理由としては間違っている」ことを堂々の述べてしまいがちな印象がある。というよりも、正確には、数学的正しさには偏執的に固執するにも関わらず、それ以外の意味での正しさには全く無頓着と言うべきか。これでは、いくら科学が発展しようとも間違い続けるであろう。数学的な正しさだけを考えて、他の意味での正しさを考えない思考法がどのようなものか、具体例を挙げようと思う。それは風邪の人を見て「この人を調べてみると、体温が異常に高く、これが健康な人との違いだ。ということは、体温を下げれば健康な人に近付く訳であるから、寒い部屋に運べば良い筈だ。」と考えるようなことである。何故その現象が起こっているのか、メカニズムを知ろうとしないから表面的に数値を合わせれば良いと考えてしまうということである。これは実用上は予想外、前例の無い事象に弱いということであるし、純粋な理論としても人間の知的好奇心に十分に応えるものではない。
 では、メカニズムを考えるとはどういうことか、いや、正確には数学以外の正しさとは何なのか(メカニズム解明だけが学問的正しさとは限らない)。これは分野によって違い、私が一般に述べることは出来ない。私が知っているものとしては、物理学・複雑系の見方ぐらいしかない。
であるから、私が唯一言えることは、学問には各々の形で正しさを求めてきた歴史があるので、数学的な見方が全てに優越し、それさえ分かっていればそれで良いと考えてはいけないということである。互いに他の分野を尊敬するべきである。

参考文献

[1]吉田総仁、弾塑性力学の基礎、共立出版株式会社、1997

2014年8月29日金曜日

物理・複雑系のものの見方(書評形式)

複雑系とは、一見無秩序ないし予測不能に見えるが、その背後には何らかのメカニズムが働いているシステムのことを指している。特にここで問題とするのは最も基本的な形、即ち多数の構成要素からなるシステムで、要素間の相互作用により複雑性が創発している系である。これには2種類あり、一つは構成要素が学習能力を持たない“粒子”からなる複雑物理系で、金属の磁性や流体の乱流などが代表例である。もう一つは構成要素が環境から学習して適応していく“エージェント”からなる複雑適応系であり、生態系や金融市場などが代表例である。
ここで、先ずは複雑系科学の発祥元であり、前提となっている物理学のものの見方を整理しよう。物理学とは、シンプルで基本的な仮定のみから作られたモデルによって現実の多様な現象を説明する学問である。そのように考える理由は、以下の2つである。
     ある現象が何故起こるのか、その原因を特定できる。
     基本的な仮定のみから得られた結論は、他の仮定を加えても崩れない。
前者について述べると、これは人間の認知能力の限界のことのみを指している訳ではなく、人間の認知能力に非依存な数学によっても裏付けられている。それは、複雑怪奇なモデルであれば、如何に非現実的な仮定からであっても現実の特徴を再現出来てしまうということである。例えば、素粒子ではなく「シリコンに電流が流れて画像を生成する」ことが現実世界を動かす仕組みだと思って理論を組み立てても上手く説明出来てしまう。しかしこれは人間の体がシリコンでも電気信号でもないことから明らかなように、間違っている。しかしこの間違った仮定から現実が上手く再現出来ることは、目の前のコンピュータを見れば自明であろう。では、何故全く別の理屈から出来ているものが同じ挙動を見せるのか、これが後者の答である。例えば現実の水の動きとコンピュータシミュレーションを比べてみると、水とプログラムだからその点では全く違う。しかし、どちらも保存則と対称性を満たしているから、“水の挙動”を何れも示すのである。この場合、保存則と対称性が本質であって、他の条件が加わったところで“水である”ことが崩れたりはしない。このような本質を見つけたいと思うのが、物理学である。
 では、複雑系は従来の物理学とはどのように違うのか。それは本質の所在がどこにあるかと見做すかの違いにある。物理では、本質は構成要素それ自体の中にあると考えていた。だから水のような連続体を分子に、それをさらに原子、素粒子へと分解してきた。ところがそれでは立ち行かなくなったので、複雑系科学が現れたのである。複雑系では、要素間の関係性、相互作用の方に本質があると考える。端的に言えば、H2O分子が集まったものではなく衝突の際に保存則と対称性が満たされるものを水と見做すということである。以上のような物理学と複雑系の見方を一冊に体感出来る本としてPER BAK “how nature works”を推薦する。これは複雑系の基本的な考えを身に付けるのに最適であると言えよう。英語も極めて平易で、数式も少ない。今回紹介する他の本を読む前に、入門として読んで欲しい。
 次に、複雑物理系についての本を紹介しよう。加藤恭義、築山洋、光成友孝『セルオートマトン法-複雑系の自己組織化と超並列処理』を推薦する。これは格子ガスオートマトン(LGA)及びその発展である格子ボルツマンという簡単なプログラムが、現実の複雑な流体の挙動を再現することを説明する本である。LGAには「同じマスに来た粒子は衝突し、保存則と対称性を満たすように曲がる」というルールしかない。局所的なルールのみからマクロな流体の全体挙動が再現されるのは圧巻である。また、魚や貝など生物の模様が2種類の物質の拡散のみによって説明出来るということを、これまた局所的なルールのみからなるセルオートマトンで説明しており、興味深い。全体のデザインを決めている人は誰もいないのに、自発的にデザインが現れることがこの本のキモと言えるだろう。
 複雑適応系に関しては、その具体的な個別の分野として経済物理を以下勧めておこう。経済物理とは、現実世界に溢れているデータを収集・分析し、シミュレーションなどで現象のメカニズムを推定する学問である。最初に読むべきは、高安秀樹、高安美佐子『エコノフィジックス 市場に潜む物理法則』である。これは内容としてはそう多い訳ではないが、一番分かり易く、他の本を読む為の基礎力を身に付けるのに最適である。その後は自分の興味に従って読めば良い。株式市場に関してなら増川純一、水野貴之ほか『株価の経済物理学』がお勧めであるし、企業活動などの実体経済を扱った本としては青山秀明、家富洋ほか『経済物理学』という本がある。他にもSNSの分析をしている本もある。この2冊は何れもなかなか難しいので、繰り返しになるが先に挙げた高安氏の本を読んで力を付けてから挑戦することを勧める。基礎が分かった後であれば、極めて楽しく読める筈だ。
 最後に、私が複雑系の中でも最も面白いと思う領域を紹介しよう。それは経済物理の中でも人工市場研究である。人工市場とは、プログラムの中に仮想的なトレーダー、即ちエージェントを作り、実際に経済活動をさせて社会の性質を調べる分野である。その為、数式では表現しづらい人間の心理、集団行動などがどのように現実に影響しているのかまでも調べることが出来、これが従来の社会科学との大きな差である。人工市場のモデルの1つにマイノリティゲーム(MG)というものがある。その紹介としてD.Challet, M.Marsili, etc., “Minority Games”を挙げておこう。MGは限定合理性、多様で非均一なエージェント、少数派有利というシンプルなルールのみからなるにも関わらず、金融市場以外にも交通やインターネットの経路制御、脳神経の構造などの研究にも使われており、正にシンプルなルールが現実の複雑性を上手く説明する好例と言えよう。

物理・工学のものの見方

 理系のものの見方というと、数学的な演繹しか考えない人がいるが、これは明確に間違っている。数学というのは「こういう仮定をすれば、こういう結論になる」という風に、都合良い場合のみを考える学問である。加えて、演繹であるので、100%正しい場合のみ正しいとし、他の場合を全て間違っているとして扱うのも、現実世界の問題を考える上では欠点である。正しいor間違っているの2択、定性的にしか問題を記述できないからである。対して、物理学では極めて低い確率はゼロとして扱う。具体的にどれくらい小さければゼロなのかは分野によって違い、ここには人間の恣意性が入るが、実世界を扱うのだから当然である。例えば具体例としては、「部屋の中の酸素分子が部屋の隅に集中し、人間が窒息する可能性はゼロとして扱う」ことなどがある。また、現実の観察できる事象を扱うのであるから、測定限界以下の値の正確性は議論に含めない。即ち、よく「古典力学は厳密には間違っていて、本当は量子力学が正しい」と言う人がいるが、これは日常的物体の運動を考えている限り間違っている。日常的物体においては、古典力学は一部の誤りも無く100%完全に正しい。量子効果は測定限界以下だからである。以上のように“統計的な”ものの見方をするのが物理学である。それに付け加えて、人間による操作を考えるのが工学である。それは例えば、「未来永劫事故が起こらない訳ではないが、30年は事故が起こらないから問題ない。30年以降は取り壊して新しい物を使うからだ」という風になる。数学との違いを具体的に言うと、数学なら事故率が僅かにでもあれば最終的には必ず事故ると考えるが、工学系は使用期間を区切ることで事故率を十分に下げ、事故率をほぼゼロにして扱う。当然、絶対は無いので、それでも事故発生時の対応は考える。「起こりえない」ことをも考えるのは、数学とだけではなく物理とも違う点である。また、リスクとリターンのバランスを考えるというのも特徴としてあり、事故が起こる確率があったとしても、リターンがそのリスクを上回るならば実行に移す。であるから、外部に影響の無い小規模な事故は許容し、その事故の経験から大事故を防げればそれで良いのである。つまり、先述の「事故率を十分に下げ、事故率をほぼゼロにして扱う」で述べた事故率というのは場合によっては大事故のことだけを考えている。例えば原子力なら、放射性物質の流出を防げれば外部に影響が無く、問題ないのである。