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2015年4月28日火曜日

科学は人間の主観から自由か

 結論から言えば、私が思うに、科学も人間の感情や主観から自由ではない。その理由を列挙すると、次のようになる。尚、ここでの議論は一部に社会科学を暗に想定したものも存在するが、科学一般に適合すると私は考えている。

①ある現象を再現するモデルは複数考案されるのが普通であり、そのうちの何れを選択するか、また自分ならどうモデル化するかに個人の主観が反映する。
②「人間の思考能力や行動基準を~であると仮定すると、経済現象に~という性質が現れる」という数学的、ないしアルゴリズム的に記述される“科学的事実”は人間の主観に対して独立だが、その仮定と帰結が現実社会に適合するかどうかはその時々の様々な経済的状況に依存し、“正しい理論”が何なのか決定することが出来ない。
③そもそも科学において何を研究したいのか、その方向性や問題意識が応用科学や工学等の現実世界と密接に関係しており、科学の進展方向は現実世界に非依存ではない。

以下、それぞれ説明する。

①について
 例えば流体の運動なら(何らかの極限を取れば何れもNavier-Stokes方程式と等価だと数学的には示されているが)フラクショナル・ステップ法やSPH法、MPS法に格子ボルツマン法等の様々な全く異なる表現で書き表すことが出来る。空間の不動な各点に速度や圧力等を成分とするベクトル場が広がっていると見ても良いし、そういう計算格子が拡散したり集まったり変形して、時に一滴の飛沫になる世界観も良い。果ては、規則的な世界に有限個の矢印があって、その方向に1単位時間に1マスしか進まない仮想的な、存在密度の流れでさえ構わない。これが社会・経済現象となると更に難しく、何らかの極限を取ってもモデルの意味が一致しないということも普通である。例えば金融市場のstylized factsを再現するモデルとしてGCMG(grand canonical minority game)やマスロフモデルがあるが、前者は状況に適応して知的に振る舞うエージェントの挙動をモデル化して金融市場の価格決定メカニズム(ザラバ、学術的には連続ダブルオークション)を無視しており、逆に後者はエージェントの知的挙動は全く考慮しない、単なるランダムとして扱い、市場の価格決定メカニズムのみをモデル化している。従って、どう考えても両者は同一のモデルとして考えることはあり得ない訳だが、どちらもstylized factsを再現することが出来る。

②について
 ①後半の金融市場の例で近いものを挙げたような気はするが、やはり別個の概念として存在すると思うので、典型的な例を挙げる。高校の政治経済の授業ではセイの法則とケインズの有効需要の法則を習う筈なのであるが、その矛盾を考えたことはあるだろうか。前者では供給は需要を創造する、即ち作れば作っただけ売れると主張するのに対して、後者では需要があって初めて供給がある、即ち作り過ぎれば売れ残ると主張している。この矛盾は、決して片方が間違っているという訳ではなく、仮定している前提状態が異なるのである。雑に説明すると、前者では価格は常に変動し、生産者は値引きをしてでも全ての商品を売ると考えるのに対し、後者では生産者は価格を下げず、そして売れ残りが発生すると考えている。これまた極めて雑な議論で申し訳ないが、前者が(新)古典派で、後者がケインズ派と呼ばれている。数学的にはどちらも正しいが、どちらが現在の社会状況に整合するのかはその時々で異なる。多分今の日本のような状況だとケインズ派の方が正しいんじゃないかと根拠は無いが個人的には感じている。

③について
 先ずは分かり易いであろう②の延長戦で話を進めると、ケインズが出てきたのは当時不況であり、従来から存在した古典派の理論では状況を説明出来ず、不況を脱することが出来ないという現実世界からの問題意識があった。科学が現実世界に影響されていることの証左である。これは経済学のような社会科学だけでなく、数学や物理学においても類似の例は多々ある。例えば数学の微積分学は(ライプニッツがどうだかは知らないが)ニュートンが力学の問題を記述する為に開発したものであるし、関数解析や作用素の概念は量子力学を正確に記述する為の表現として誕生した。微分幾何学はアインシュタインの相対性理論を書く為である。純粋な理論と思われている数学も、どの方向に進化していくか、その問題意識は強く現実世界にリンクしている部分もあると言って良いだろう。物理学においても同様で、空気動力学は航空機の飛行を研究する為に発展したものであるし、流体力学の境界層理論はコンピュータの無い時代に手計算で飛行機の翼の回りの流れを計算し、揚力から飛行能力を導出する為に使われるものだ。

 結局、私が言いたいのは、純粋な科学と雖も現実世界の問題から離れられず、科学のより良い発展には現実世界との向き合い方、問題意識の発見の仕方が重要なのではないかということに尽きる。

2014年12月31日水曜日

個人的な学問の定義

私が参加している雑誌(同人誌?)[1]の企画に「自分の関わる学問分野を、自分なりに定義してみよう」という企画があった[2]ので、それに投稿する原稿を公開します。
この企画には誰でも自由に参加出来るらしいので、興味ある方は是非。
工学と経済物理と統計力学について、それが何なのか200字で述べました。

工学
 工学とは、一般には機械や電気等の個別のモノづくり技法の総称だと思われているが、そうではない。実際には、人間が新しいアイデアを考え、人間の生活を改善していく行為全般を指すものである。人類が始まって以降、火や言葉の発明から現代の情報の整理・創造というITに至るまで全てが工学であると言えよう。従って、重要なのは個別分野の具体的知識というよりも、技術者としての倫理、コミュニケーション技法、発想技法である。

経済物理
 経済物理とは、主にデータ解析とコンピュータシミュレーションを用いて、金融市場等の経済現象を実証的に研究する学問である。誤解され易いが、物理学の手法をそのまま経済学に持ち込むのではない。重要なのは、データ解析の結果と関係者へのフィールドワークから得られた人間の感性を、シミュレーションによって整合性を保ちつつ統合することである。限定合理性や個々人の多様性が経済へどう影響するかを調べることに強みがある。

統計力学
 統計力学は、熱現象をミクロな分子モデルから説明する学問ではない。もっと普遍的であり、“ものを数える”行為全ての基礎概念になり得る。その証拠に、ネットワーク理論や自己組織化臨界現象、相関関数等の概念は物理現象に限らず、今や生物や社会現象にも応用されている。重要なのは、起こり得るシナリオをどうすれば一つ一つ数え上げることが出来るか、その基準、本質的な特徴量を問題毎に考えることである。


参考文献

2014年8月29日金曜日

物理・複雑系のものの見方(書評形式)

複雑系とは、一見無秩序ないし予測不能に見えるが、その背後には何らかのメカニズムが働いているシステムのことを指している。特にここで問題とするのは最も基本的な形、即ち多数の構成要素からなるシステムで、要素間の相互作用により複雑性が創発している系である。これには2種類あり、一つは構成要素が学習能力を持たない“粒子”からなる複雑物理系で、金属の磁性や流体の乱流などが代表例である。もう一つは構成要素が環境から学習して適応していく“エージェント”からなる複雑適応系であり、生態系や金融市場などが代表例である。
ここで、先ずは複雑系科学の発祥元であり、前提となっている物理学のものの見方を整理しよう。物理学とは、シンプルで基本的な仮定のみから作られたモデルによって現実の多様な現象を説明する学問である。そのように考える理由は、以下の2つである。
     ある現象が何故起こるのか、その原因を特定できる。
     基本的な仮定のみから得られた結論は、他の仮定を加えても崩れない。
前者について述べると、これは人間の認知能力の限界のことのみを指している訳ではなく、人間の認知能力に非依存な数学によっても裏付けられている。それは、複雑怪奇なモデルであれば、如何に非現実的な仮定からであっても現実の特徴を再現出来てしまうということである。例えば、素粒子ではなく「シリコンに電流が流れて画像を生成する」ことが現実世界を動かす仕組みだと思って理論を組み立てても上手く説明出来てしまう。しかしこれは人間の体がシリコンでも電気信号でもないことから明らかなように、間違っている。しかしこの間違った仮定から現実が上手く再現出来ることは、目の前のコンピュータを見れば自明であろう。では、何故全く別の理屈から出来ているものが同じ挙動を見せるのか、これが後者の答である。例えば現実の水の動きとコンピュータシミュレーションを比べてみると、水とプログラムだからその点では全く違う。しかし、どちらも保存則と対称性を満たしているから、“水の挙動”を何れも示すのである。この場合、保存則と対称性が本質であって、他の条件が加わったところで“水である”ことが崩れたりはしない。このような本質を見つけたいと思うのが、物理学である。
 では、複雑系は従来の物理学とはどのように違うのか。それは本質の所在がどこにあるかと見做すかの違いにある。物理では、本質は構成要素それ自体の中にあると考えていた。だから水のような連続体を分子に、それをさらに原子、素粒子へと分解してきた。ところがそれでは立ち行かなくなったので、複雑系科学が現れたのである。複雑系では、要素間の関係性、相互作用の方に本質があると考える。端的に言えば、H2O分子が集まったものではなく衝突の際に保存則と対称性が満たされるものを水と見做すということである。以上のような物理学と複雑系の見方を一冊に体感出来る本としてPER BAK “how nature works”を推薦する。これは複雑系の基本的な考えを身に付けるのに最適であると言えよう。英語も極めて平易で、数式も少ない。今回紹介する他の本を読む前に、入門として読んで欲しい。
 次に、複雑物理系についての本を紹介しよう。加藤恭義、築山洋、光成友孝『セルオートマトン法-複雑系の自己組織化と超並列処理』を推薦する。これは格子ガスオートマトン(LGA)及びその発展である格子ボルツマンという簡単なプログラムが、現実の複雑な流体の挙動を再現することを説明する本である。LGAには「同じマスに来た粒子は衝突し、保存則と対称性を満たすように曲がる」というルールしかない。局所的なルールのみからマクロな流体の全体挙動が再現されるのは圧巻である。また、魚や貝など生物の模様が2種類の物質の拡散のみによって説明出来るということを、これまた局所的なルールのみからなるセルオートマトンで説明しており、興味深い。全体のデザインを決めている人は誰もいないのに、自発的にデザインが現れることがこの本のキモと言えるだろう。
 複雑適応系に関しては、その具体的な個別の分野として経済物理を以下勧めておこう。経済物理とは、現実世界に溢れているデータを収集・分析し、シミュレーションなどで現象のメカニズムを推定する学問である。最初に読むべきは、高安秀樹、高安美佐子『エコノフィジックス 市場に潜む物理法則』である。これは内容としてはそう多い訳ではないが、一番分かり易く、他の本を読む為の基礎力を身に付けるのに最適である。その後は自分の興味に従って読めば良い。株式市場に関してなら増川純一、水野貴之ほか『株価の経済物理学』がお勧めであるし、企業活動などの実体経済を扱った本としては青山秀明、家富洋ほか『経済物理学』という本がある。他にもSNSの分析をしている本もある。この2冊は何れもなかなか難しいので、繰り返しになるが先に挙げた高安氏の本を読んで力を付けてから挑戦することを勧める。基礎が分かった後であれば、極めて楽しく読める筈だ。
 最後に、私が複雑系の中でも最も面白いと思う領域を紹介しよう。それは経済物理の中でも人工市場研究である。人工市場とは、プログラムの中に仮想的なトレーダー、即ちエージェントを作り、実際に経済活動をさせて社会の性質を調べる分野である。その為、数式では表現しづらい人間の心理、集団行動などがどのように現実に影響しているのかまでも調べることが出来、これが従来の社会科学との大きな差である。人工市場のモデルの1つにマイノリティゲーム(MG)というものがある。その紹介としてD.Challet, M.Marsili, etc., “Minority Games”を挙げておこう。MGは限定合理性、多様で非均一なエージェント、少数派有利というシンプルなルールのみからなるにも関わらず、金融市場以外にも交通やインターネットの経路制御、脳神経の構造などの研究にも使われており、正にシンプルなルールが現実の複雑性を上手く説明する好例と言えよう。

物理・工学のものの見方

 理系のものの見方というと、数学的な演繹しか考えない人がいるが、これは明確に間違っている。数学というのは「こういう仮定をすれば、こういう結論になる」という風に、都合良い場合のみを考える学問である。加えて、演繹であるので、100%正しい場合のみ正しいとし、他の場合を全て間違っているとして扱うのも、現実世界の問題を考える上では欠点である。正しいor間違っているの2択、定性的にしか問題を記述できないからである。対して、物理学では極めて低い確率はゼロとして扱う。具体的にどれくらい小さければゼロなのかは分野によって違い、ここには人間の恣意性が入るが、実世界を扱うのだから当然である。例えば具体例としては、「部屋の中の酸素分子が部屋の隅に集中し、人間が窒息する可能性はゼロとして扱う」ことなどがある。また、現実の観察できる事象を扱うのであるから、測定限界以下の値の正確性は議論に含めない。即ち、よく「古典力学は厳密には間違っていて、本当は量子力学が正しい」と言う人がいるが、これは日常的物体の運動を考えている限り間違っている。日常的物体においては、古典力学は一部の誤りも無く100%完全に正しい。量子効果は測定限界以下だからである。以上のように“統計的な”ものの見方をするのが物理学である。それに付け加えて、人間による操作を考えるのが工学である。それは例えば、「未来永劫事故が起こらない訳ではないが、30年は事故が起こらないから問題ない。30年以降は取り壊して新しい物を使うからだ」という風になる。数学との違いを具体的に言うと、数学なら事故率が僅かにでもあれば最終的には必ず事故ると考えるが、工学系は使用期間を区切ることで事故率を十分に下げ、事故率をほぼゼロにして扱う。当然、絶対は無いので、それでも事故発生時の対応は考える。「起こりえない」ことをも考えるのは、数学とだけではなく物理とも違う点である。また、リスクとリターンのバランスを考えるというのも特徴としてあり、事故が起こる確率があったとしても、リターンがそのリスクを上回るならば実行に移す。であるから、外部に影響の無い小規模な事故は許容し、その事故の経験から大事故を防げればそれで良いのである。つまり、先述の「事故率を十分に下げ、事故率をほぼゼロにして扱う」で述べた事故率というのは場合によっては大事故のことだけを考えている。例えば原子力なら、放射性物質の流出を防げれば外部に影響が無く、問題ないのである。