2014年8月29日金曜日

物理・工学のものの見方

 理系のものの見方というと、数学的な演繹しか考えない人がいるが、これは明確に間違っている。数学というのは「こういう仮定をすれば、こういう結論になる」という風に、都合良い場合のみを考える学問である。加えて、演繹であるので、100%正しい場合のみ正しいとし、他の場合を全て間違っているとして扱うのも、現実世界の問題を考える上では欠点である。正しいor間違っているの2択、定性的にしか問題を記述できないからである。対して、物理学では極めて低い確率はゼロとして扱う。具体的にどれくらい小さければゼロなのかは分野によって違い、ここには人間の恣意性が入るが、実世界を扱うのだから当然である。例えば具体例としては、「部屋の中の酸素分子が部屋の隅に集中し、人間が窒息する可能性はゼロとして扱う」ことなどがある。また、現実の観察できる事象を扱うのであるから、測定限界以下の値の正確性は議論に含めない。即ち、よく「古典力学は厳密には間違っていて、本当は量子力学が正しい」と言う人がいるが、これは日常的物体の運動を考えている限り間違っている。日常的物体においては、古典力学は一部の誤りも無く100%完全に正しい。量子効果は測定限界以下だからである。以上のように“統計的な”ものの見方をするのが物理学である。それに付け加えて、人間による操作を考えるのが工学である。それは例えば、「未来永劫事故が起こらない訳ではないが、30年は事故が起こらないから問題ない。30年以降は取り壊して新しい物を使うからだ」という風になる。数学との違いを具体的に言うと、数学なら事故率が僅かにでもあれば最終的には必ず事故ると考えるが、工学系は使用期間を区切ることで事故率を十分に下げ、事故率をほぼゼロにして扱う。当然、絶対は無いので、それでも事故発生時の対応は考える。「起こりえない」ことをも考えるのは、数学とだけではなく物理とも違う点である。また、リスクとリターンのバランスを考えるというのも特徴としてあり、事故が起こる確率があったとしても、リターンがそのリスクを上回るならば実行に移す。であるから、外部に影響の無い小規模な事故は許容し、その事故の経験から大事故を防げればそれで良いのである。つまり、先述の「事故率を十分に下げ、事故率をほぼゼロにして扱う」で述べた事故率というのは場合によっては大事故のことだけを考えている。例えば原子力なら、放射性物質の流出を防げれば外部に影響が無く、問題ないのである。

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