2014年8月30日土曜日

学問の正しさにおける数学以外の裏付け

 度々為される主張に「多くの自然・社会科学の分野では数学を使うのだから、数学は基礎学問でその他の自然・社会科学は応用である。よって、より数学科に近い応用数学科、計数工学科などはその他の工学部、経済学部などより基礎に近い。それ故、研究で出される主張の正しさがより大きい。」というようなものがある。このような主張は、非数学系統の研究は論理の厳密性に欠けている、単なる応用、現実への当てはめに過ぎないということを陽に述べている。ところが、これは物事を一面からしか捉えられていない。ある学術的主張は、その数学的論理の厳密さのみから正しさを測ることは出来ない。数学的に正しくとも、実際には間違っている主張は山ほどある。以下、自然・社会科学における正しさという概念について述べる。
 先ずは、数学的には正しいが間違っている説について具体例を挙げる。私が知っているものとしては、塑性力学のミーゼスの降伏条件の物理的解釈におけるせん断歪みエネルギー説、八面体せん断応力説がある。これについては“以上の二つの学説は数式的(形式的)には正しいが,個々の結晶のすべりの結果としての多結晶体の塑性変形の開始がマクロ的な八面体せん断応力やせん断ひずみエネルギーに支配されると考えるのは物理的解釈としては無理がある.”[1]と言われている。これを分かり易く言うと、「出てくる結論は正しいがその理由としては間違っている」説だということである。
 この例では、ミクロな構造を扱う学問がまだ存在しなかった時代である為、間違ってしまうことは仕方がない。これは丁度電子顕微鏡の無い時代だったが故に、野口英世がウイルスを発見出来なかったのと同じである。しかし、科学の発展した今の時代においても、応用数学系の友人は「出てくる結論は正しいがその理由としては間違っている」ことを堂々の述べてしまいがちな印象がある。というよりも、正確には、数学的正しさには偏執的に固執するにも関わらず、それ以外の意味での正しさには全く無頓着と言うべきか。これでは、いくら科学が発展しようとも間違い続けるであろう。数学的な正しさだけを考えて、他の意味での正しさを考えない思考法がどのようなものか、具体例を挙げようと思う。それは風邪の人を見て「この人を調べてみると、体温が異常に高く、これが健康な人との違いだ。ということは、体温を下げれば健康な人に近付く訳であるから、寒い部屋に運べば良い筈だ。」と考えるようなことである。何故その現象が起こっているのか、メカニズムを知ろうとしないから表面的に数値を合わせれば良いと考えてしまうということである。これは実用上は予想外、前例の無い事象に弱いということであるし、純粋な理論としても人間の知的好奇心に十分に応えるものではない。
 では、メカニズムを考えるとはどういうことか、いや、正確には数学以外の正しさとは何なのか(メカニズム解明だけが学問的正しさとは限らない)。これは分野によって違い、私が一般に述べることは出来ない。私が知っているものとしては、物理学・複雑系の見方ぐらいしかない。
であるから、私が唯一言えることは、学問には各々の形で正しさを求めてきた歴史があるので、数学的な見方が全てに優越し、それさえ分かっていればそれで良いと考えてはいけないということである。互いに他の分野を尊敬するべきである。

参考文献

[1]吉田総仁、弾塑性力学の基礎、共立出版株式会社、1997

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