2015年11月5日木曜日

金融市場の比喩としてのケインズの美人投票

 金融市場の比喩としてのケインズの美人投票はあまり好きではない。その理由は、美人投票というゲームが①各プレイヤーが市場ではなく他のプレイヤーの思惑を考えている②勝利条件が多数派に属することである③それらの帰結として、ゲーム理論的に最適戦略が求まってしまうこと(④各プレイヤーの間に本質的な個性の違いが無く、一様であること)の3(4)つである。
 少し詳しく書くと、美人投票では単純に自分が好きな人に投票するのがゲーム理論的に最適解の筈である。何故ならば、何も考えずに自分が好きな人に投票すれば、その人が一番人気である確率が一番高く(何故ならば、人気な人ほどファンが多いのだから、自分がその中に含まれると考えるのが自然だ)、かつ同じことを他のプレイヤーも考えるので、一番人気になりそうな人として自分の好きな人に投票する筈である。わざわざ「自分は嫌いだけれど他の人からは好まれそうだ」という人に対して投票するまい。複雑な心理戦をせず、自分のことだけ考えて高確率で多数派になり、勝利出来る選択を他の人の大多数が取らないと考えることは不自然であり、そうである以上自分もその状況で勝ちやすい、全く同じ戦略を取るべきである。少なくとも、プレイヤーに完全合理性を想定するならばそうなる筈である。
 では、より比喩として適切なのは何か。その一例はマイノリティゲームである。マイノリティゲームには①各プレイヤーは他のプレイヤーと直接競争するのではなく、あくまで過去のバーの出席人数と競争する②勝利条件が少数派に属することである③その帰結として、最適戦略が存在しない(④各プレイヤーの意思決定が多様であることがゲームの成立条件として要求されている)という特徴がある。
 各プレイヤーは、今までのバーの出席人数から今日のバーが空いているかを予測し、空いていそうなら行こうと考える。この時点で、実は彼は演繹的な完全合理性の世界観を捨て、inductive reasoningによって思考をしている。もし完全合理性の世界、バーの過去の出席人数ではなく他のプレイヤーと直接競争する世界なら、バーが空いているかどうかは確率1/2なのだから、確率的に行動すればよい。少なくとも、確率的に行動して損はないのだから、みんな確率的に考えている筈であるし、そう他の人が思うであろうと自分が思うのであるから、自分も確率的に振る舞うべきであるし、過去の履歴を見ても単なる乱数列、何の意味も無い。では、バーの出席人数の過去履歴を見ている世界とはどんなものか。過去の23、67、55、……のような出席人数を見て、次の出席人数を予想し、少なさそうならバーに行くという様子である。一見無意味な占いに見えるが、他の人も迷信じみた行動原理で動いている以上、時系列データに何らかの法則性が隠れていてもおかしくない。すると、この不可思議な行動に、ある種の合理性が生まれてくる。そしてまた、勝つのは少数派である。だから、絶対に有利な戦略などというものはあり得ない。もしそのような戦略が発見されれば、それを採用する者が増えるにつれ多数派に近付き、最終的には勝てなくなるからである。従って、常に勝ち続ける戦略は存在しない。戦略の強さはその時々の時流に依存している。また、少数派が勝つということは、(他のプレイヤーのことを考えないゲームであるが、結果的に)他のプレイヤーを出し抜いた者が勝つということも含意している。
 このような、常勝の最適戦略が存在せず、他人の裏を掻くゲームというのは金融市場にどことなく類似しているし、なにより、過去の時系列から将来を予想しようという発想は、テクニカル分析なり高性能コンピュータによって為されるHFT(High Frequency Trading、高頻度取引)のメカニズムに近いのではないか。

0 件のコメント:

コメントを投稿