2015年4月18日土曜日

物理学における経済物理の意義について

 今日、計数の友人と話した折、彼は「経済物理は今まで物理学で記述出来ると思われていなかった経済という現象が、物理で書けると分かったことに意義がある。それによって、多くの物理学者が参入した。」という趣旨のことを述べていたが、それは違うと私は考えている。その理由について、以下述べる。但し、私の言いたいことを述べる上で適切な用語が度々なかったので、不正確な言葉遣いが現れたり、同じ用語がその時々によって異なる意味に使われていることはご容赦頂きたい。また、書いている最中に文献を細かく確認しなかったので、事実関係に誤りがある可能性がある。
 まず、経済物理とは経済現象を(彼が思っているであろう)物理学で記述したものではない。確かに、冪乗則や自己相関関数、相転移等の物理由来の概念は使われているが、それだけではないし、その用法は他の物理学とは違う。寧ろ経済物理の物理学としての(社会科学、経済学の一部としての価値はまた別である)価値は、平衡がマクロな変数で大域的に決まるのではなくミクロな局所的変数で決まり、構成要素が学習をしない粒子ではなく学習・適応していくエージェントからなる系への物理学の拡張という点にある。
 例えば2次相転移に関して言えば、通常の物質系の物理学では秩序パラメータmの揺らぎが臨界点で発散する、臨界揺らぎという現象が見られる。即ち、雑に言えば、臨界点において系は不安定である。ところが経済物理においては、例えばMG(minority game)やMDRAG(market-directed resource allocation game)に見られるように、臨界点において揺らぎが最小化し、市場として安定するという性質を持つ系がある。この差異がどこから生じるのかと言うと、系の状態の決まり方の違いからである。物質系においては、系がどういうマクロ状態に最終的に落ち着くかは、マクロなパラメータである自由エネルギーの最小化で決まる。その最終状態、即ち自由エネルギー最小状態での秩序パラメータの値を知る為には、与えられた条件(例えば温度をTにする等)の下での自由エネルギーを、秩序パラメータmで展開し、自由エネルギーを最小にするmを求めればよい。そのような考えに基づいた計算を行えば、臨界揺らぎがあるということは理解出来る。このような議論は物質の種類等の系の性質に依存せず、この結果は極めて普遍的であるように見える。しかし、MGやMDRAGには成り立っていない。マクロなパラメータで議論出来るとするとこの結論は必ず導かれる筈であることから考えれば、MG等で成り立っていないことより、MGの状態がマクロなパラメータに支配されている訳でないことが分かる。実際、MGやMDRAGがどうなるかは個々のエージェントの戦略選択、意思決定に依存しており、大局的にではなく局所的な要因から決まっている。このような現象は物質系の物理学にはあまり見られない現象であり、これは物理学のアイデアを単に社会現象に応用した訳ではないことが分かるだろう。そうではなく、今までの物理にはなかった概念まで、物理学を拡張したのである。エージェントの学習・適応に関しても同様である。
 結論として、私の主張としては、経済物理は経済を物理学で記述したことに意義があるのではなく、経済現象を契機にして、物理学の概念を拡張したことに意義があるのである。

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